郡上市白鳥町では、かつて美濃禅定道の拠点であった白山中宮長瀧寺にも立ち寄りました。
※境内にある説明看板より
白山中宮長瀧寺は、霊峰白山を開山した泰澄が、奈良時代養老年間に創建した山岳寺院で
あった。
平安時代天長9年(832)加賀馬場白山本宮・越前馬場白山中宮平泉寺と並ぶ白山三馬
場の一つ美濃馬場として、白山へ登拝する美濃禅定道の拠点となっていった。治安元年(1
021)延暦寺天台別院となり勢力を拡張、寺領は飛騨国河上庄を含む広大な範囲に及んだ。
隆盛時には、「六谷六院 神社仏閣三十余宇 衆徒三百六十防」と称され、白山信仰の霊
場として朝廷や武士・豪族の信仰も厚く、信徒は美濃・尾張・三河・駿河に広がり、この地に
宗教文化の花が絢爛と咲き誇った。
明治維新の神仏分離で白山長瀧寺と長瀧白山神社に分かれ、さらに明治32年(1899)
大火により堂社を焼失し古の面影はなくなったが、今なお境内には石灯篭や堂塔の礎石など
中世寺院遺構が点在する。幸い持ち出された数多くの宝物が文化財として保存され、白山瀧
宝殿・白山文化博物館で順次公開されている。
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