最南信エリアのスキー場へ出かける際にR153を北上しているのですが、根羽村役場と平谷高原スキー場の間にある横旗地区に「史跡 信玄塚」と記された大きな看板があり、以前から気になっていたので先日立ち寄ってみました。
説明表記には、信玄公は三河野田城の戦いの際に肺肝を患い甲斐国へ戻ることとなり、帰路の途中にねばねの上村にて53歳で他界(1573年4月12日)されたとのことで、その折に風林火山の旗を横にしたのでこの地を横旗というと記してありました。
宝篋印塔は、信玄公没後百年に武田家ゆかりの人々により建立されたと伝えられているそうですが、塔の型式等は室町時代(1338~1573)末期のもので、城主・大名級のものと推測されていると記されてありました。
※信玄公他界の地については、横旗より北に位置する浪合(治部坂峠~寒原峠辺り?)や駒場
(寒原峠~阿智村役場辺り?)という説もあるようです。
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