日々の出来事を綴るblog
(兼、趣味の備忘録)
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9月が近づくと、何故か越中おわら節が聴きたくなることがあります。
そんな時、八尾まで出かけるか否かで迷ってしまうのですが、今年は前者を選択しました。
練習がてらに使い慣れていないデジカメを持って行ったので、四苦八苦していました。(^^;)
諏訪町町流しの様子です。
※もう行くまい…と、今年も思ったのでした。
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R361を通り御嶽山の北側に出ると、高根第一ダムがありました。
休憩がてらに散策していると、ある看板が目に留まりました。
車で20分程離れた場所にある道の駅 飛騨たかね工房にて、このダムに行った証明としてダムの写真を提示するか、ダム周辺の景色の感想を言うと、カードが貰えると記されていました。
※小さなカード1枚のことですが、ちょっと嬉しい出来事でした。
9月に入り、其処此処に秋の気配を感じる様になりました。
先週、下道を通り日本海側までドライブを楽しみました。
開田高原~数河を走行していると、白い花で彩られたソバ畑を何度も目にしました。
開田高原からの御嶽山 美女街道からの乗鞍岳 数河の棚田そば栽培地
※新そばの季節が、近づいてきました。(^^♪
郡上市白鳥町では、かつて美濃禅定道の拠点であった白山中宮長瀧寺にも立ち寄りました。
※境内にある説明看板より
白山中宮長瀧寺は、霊峰白山を開山した泰澄が、奈良時代養老年間に創建した山岳寺院で
あった。
平安時代天長9年(832)加賀馬場白山本宮・越前馬場白山中宮平泉寺と並ぶ白山三馬
場の一つ美濃馬場として、白山へ登拝する美濃禅定道の拠点となっていった。治安元年(1
021)延暦寺天台別院となり勢力を拡張、寺領は飛騨国河上庄を含む広大な範囲に及んだ。
隆盛時には、「六谷六院 神社仏閣三十余宇 衆徒三百六十防」と称され、白山信仰の霊
場として朝廷や武士・豪族の信仰も厚く、信徒は美濃・尾張・三河・駿河に広がり、この地に
宗教文化の花が絢爛と咲き誇った。
明治維新の神仏分離で白山長瀧寺と長瀧白山神社に分かれ、さらに明治32年(1899)
大火により堂社を焼失し古の面影はなくなったが、今なお境内には石灯篭や堂塔の礎石など
中世寺院遺構が点在する。幸い持ち出された数多くの宝物が文化財として保存され、白山瀧
宝殿・白山文化博物館で順次公開されている。
昨日に引き続き、今朝も心地よく冷えた空気でした。
風が吹いているし、久しぶりに遠方の雪山が見えるかもしれないと思い公園の展望台へ出かけたのですが、やはり景色は霞んでおり名古屋のビル群すら見えない状態でした。
3月に入ったことですし、冬は終わりですね。
散歩していると、其処此処で春を感じる光景が目に留まります。
オタマジャクシが卵から孵っていましたが、水温が低いためか近づいても動きませんでした。
沈丁花も、ポツポツと開花しだしていました。
※何だか、鼻がムズムズ…花粉症じゃないゾと自分に言い聞かせる
三河地方にも寒気が下りて来たようで、今朝(am6時)の気温は0℃でした。
空には雲の帯が幅広く横たわり、水溜りには氷が張っていました。
鈴鹿山脈や養老山地が薄っすらと見えましたが、他の山々は雲に隠れて見えませんでした。
※天気図から、今夜あたり最南信にも降雪がありそうな気がするのですが…どうでしょう?
今朝も公園へ日の出を見に出かけました。
霞が掛かかっており遠望は得られませんでしたが、美しい日の出は見ることが出来ました。
帰りがけに池の周りを歩いていると、冬枯れの景色の中に紫色の何かが目に入りました。
近付き確認してみると、なんと一株だけ杜若が咲いていました。(@o@;)オォ
通常は5~6月頃に開花するわけですから、随分と早く開花したものです。
(後日追記:杜若ではなくカンザキアヤメかもしれないと教えていただきました。)
※アセビも開花を始めていました。