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gooseの散歩

日々の出来事を綴るblog (兼、趣味の備忘録)

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春の甲子園(生かされる間、生きる)

春の選抜高校野球が開催されますね。
力いっぱい声を出して、白球に喰らいついて、熱くプレーする姿が楽しみです。


これは、昔のアニメで流れていた曲で、年齢を重ねても何故かたまに思い出します。
熱い声援を送るゾ。

※3月23日から第83回選抜高校野球大会が始まりました。
 開会式は素晴らしかったですね。
 創志学園の野山主将の選手宣誓も立派でした。
 オジサンの心にも、熱いものが届きました。
 創始学園は創部1年目にして、甲子園出場なんてスゴイ。
 北海高校(北海道)×創始学園(岡山)
 2対1で創始学園は惜敗しましたが、創部1年目でよくあそこまでまとまったチームになった
 なと感心しました。
 ムムムッ、学校名もいい・・・ヨシ、覚えた。
 さぁ、出場32校による熱い戦いを見て、元気を見習うゾ!

※4月3日 決勝戦
 東海大相模×九州国際大付属
 6対1にて、東海大相模が優勝。
 東海大相模の佐藤主将による決勝後のコメントが素晴らしく、感心するばかりでした。
 (佐藤主将は、捕手で4番と重責を担いながら、今大会5試合で23打数11安打 
 打率・478と素晴らしい成績を残した)
 今回の大会は震災直後とあって、国民の気持ちもふさぎ気味という中での開催でした。
 私は、開催してくれた関係各位の方々や高校球児達に、心から感謝しています。
 皆さんのおかげで、たとえ一時でも、重く沈んだ心が軽くなり、救われた思いがしました。
 ありがとうございました。
 
 

生かされる間、生きる。
生かされる間は、苦と喜びが半々と信じたい。
しかし喜びは、待っていても降って落ちてくるわけではなく
動かなければ得られないようだ。
だから勇気を出して、探してみよう。
人が、学ぶ。
人が、働く。
人が、遊ぶ。
人が、・・・
「人が」という部分が充足していれば、結果は良い方向へ進みやすく
     〃      欠落していれば、  〃 悪い方向へ進みやすいようだ。
だから、知識や技術を身につける事も大切だが、
どの様な人であるかが、より大切な事のように思う。
どの様な人なのかは、世間様の判断であり、案外自分で思っている姿とは異なるものだ。
自分はこうありたいと思う姿になっているかどうかは、他人の目からの判断を参考にすることで分かる。
つまり他人と係わることで、自分という人を知るのである。
自分の姿を知れば、充足と欠落の様子が分かる。
それを理解し改善することが出来るかどうかが、喜びを見つけ良い方向へ進んでいけるかどうかの鍵となる。
だから人と係わり合いを持つ事を面倒臭がり、避けてしまわない方が良い。
係わり合いの中で、他人を認め・許し・人の業を肯定できる心の豊かさを持つことが、自分の幸福感に繋がるのだと思う。
豊かな心を持つ人になりたいと思う。
分かっていることは、人は一人では生きてはゆけないということ。


人は人の社会の中でしか、生きてはいけない。
しかし、人の価値観は十人十色で、不調和が基本だ。
異なる考え方を邪魔と感じ、排除するために殺しあっていては、お互いの未来が疲弊するばかり。
だから調和を求め
対話が必要となる。
対話とは、他人の話をよく聞き、自分の意見を伝え、互いが分かり合おうとすること。
人は一人では生きられないが、基本不調和であり、互いが傷つけあわないように調和を求めようとする時、分かり合おうとする姿勢が必要となるのだ。
だから子供を対話のない世界に、投げ入れてはいけない。
孤独に居心地の良さを感じるようになり、孤立する自分を嘘で隠そうとするように育ってしまっては、対話を苦痛と感じる人になってしまう。
人は、対話できなければ、人間嫌いになってしまうのだ。
人間嫌いは、生き辛くなるばかりで、喜びを感じにくくしてしまう。
果ては自分という人間が嫌いになり、自己嫌悪の流浪から抜け出せなくなってしまう。
世間も自分に対し嫌悪感を持っているのではないか・・・
そして世間様に必要以上の恐怖を感じたり、憎しみを感じたり・・・背を向けてしまいたくなる。
背を向ければ、他人との係わりは更に遠いものとなり、更に喜びを感じにくくなり、未来に希望を見出せなくなってしまう。
年をとってから気づいても、加齢に伴う頑固さが変化することを拒み、治したくても治らないことに、苦しみは増すばかりだ。
自分で自分に嘘をつき続け、どんどん鈍感になり、他人の喜びや痛みを理解できなくなり、更に世間から遠ざかる・・・
これを繰り返した結果なのだろう。
子供の頃から対話をする習慣を身に付けることが、喜びの多い未来を生きるための一因になるのではないだろうか。
子供と対話をする時、この子達の未来に喜びが沢山訪れるといいな思う。



子供は、未来そのものであり、希望そのものだ。
子供が輝くということは、未来という闇に1点の光が輝きだすようなものだ。
その光を見た人の心に熱が湧き出し、それが生きる活力源となる。
そんな活力が芽生えた人々が集い、絆を紡ぎ、共に未来を想えば、自信の持てる社会作りの糸口が見えるかもしれない・・・
そんな期待が生まれ、未来に光を感じ、それが更なる活力源となる。
だから大人は、子供が輝ける環境を作ることが未来を明るくすることと信じて行動することが責務なのかもしれない。
その際、子供に迎合する必要など無いし、大人が幼稚化してはならない。
大人になることは案外楽しいことだよと伝え、この子が自立するためには何が必要かを考え、行動するだけだ。
時に困難に見舞われ、絶望の淵を彷徨いふさぎこんでしまっても、心の闇に光の一点が輝きそこから熱が湧き出て活力に変わる時を待ち、生かされる間生きるしかないように思う。
バトンを渡すその日まで
共に一歩ずつ、一つずつ
前へ、前へ。
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