「
邂逅の森」に引き続き、こんな本を読んでみました。
2010年は、里に熊出没が沢山確認された年で、隣の豊田市でも養蜂箱が荒らされたとのことでした。
そこで年の最後に手にした本が、「相剋の森」でした。
「邂逅の森」の主人公:松橋富治のひ孫達の世代(つまり現代)の話で、「邂逅の森」の後に引き続き読んだので、話が繋がり易く、すぐに入り込むことができ面白かったです。
富治のひ孫にあたる美佐子(ライター)が、ある猟師の言葉「山は半分殺して、ちょうどいい」の意味を知るべく、猟師達を取材し時には行動を共にすることで、猟師達と山との係わり合い方を理解し、その言葉の意味を感じ取っていく話です。
著:熊谷達也
作:相剋の森
・山は半分殺してちょうどいい。
山を半分殺すかわり己の欲も半分殺す。
山から恵みをいただく代わりに、山を護らねばならず、山で暮らす必要がある。
・異種間の「共生」を叫ぶ前に、「共死」という前提に蓋をするべきではない。
・ヒトという動物が持つ、払拭できない本質に、狩猟に伴なう快楽があるという事実を忘れてはい
けない。
・熊を撃たなくても、現代は腹を満たす事はできる。
しかし、食料という物の話ではなく、申し訳ないと思いながら、クマを追い仕留める行為そのもの
が、生きる力を与えてくれる。
・自然保護や環境保全と狩猟を、2項対立させるのではなく、
適度な狩猟ではびくともしないだけの、豊かな自然の実現を目指すべきなのでは。
※TVでは、クマは奥山のブナ枯れが原因でドングリの実りが減ったため、里に食料を求め下り
て来たと報道していた。
それを聞いて、なんとなく腑に落ちなかったことをblogに記した記憶があるが、事はそんなに単
純なことなのだろうか?
それが山で生活する人々の、正直な感想・見解なのだろうか?
その前に、そもそも山とはどこから山で、奥山はどこから奥山なのだろうか?
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