仕事から帰宅後、頑張ってやっと読み終えることが出来ました。
本来は、1月中に読もうと思って買った本なのですが、まったく話の中に入っていけずに、苦しかった・・・
「
戦艦武蔵」を読んだ時も、同様の読み進み辛さにまいっていたように思う。
たぶん、私のせっかちな性格が災いして、著者の文体に抵抗を感じていたのだと思います。
さっさと他の本に鞍替えするのも手なのですが、
貧乏性というか・・・
負けた気がするというか・・・
踏ん張ってみました。
一応、間宮林蔵について少し理解できた点と、途中で投げ出さずに読み切った点は、踏ん張った甲斐があったと思いたいです。
それにしても、疲れた。
著:吉村 昭
作:間宮林蔵
昔、北海道の旅で宗谷岬を訪れた時、林蔵の凛々しい銅像があったな。
以前から、アイヌ・ニブヒ・ギリヤーク等の先住民が暮らす蝦夷や樺太に、和人がどの様に入り込みその土地を領土にしていったのか、興味がありました。
林蔵の業績にしても、多くは彼らの助けがあって初めて成し得た事だということだったようです。
彼らは、たいした見返りを求めずに林蔵の命がけの仕事に同行し、時に手伝い、時に彼を守ったようだが、何故そのような事が出来たのであろう?
・言うことを聞かないと、何をされるか分からないという恐怖から・・・
・和人からの見返りを期待して・・・
・自分達の生活に溶け込もうと努力していたから、仲間意識が・・・
・長老の指示で、嫌々仕方なく・・・
・必要とされる喜びを感じた・・・
・厳しい環境下では助け合うことが基本で、困っている人を見放せない・・・
・先々の和人との関係を良くし、豊かで安全な生活を望んでいた・・・
・粗暴な山丹人の行動から、和人の力を借りて逃れるため・・・
等など、考えたら限が無い
理由は様々なのだろうが、give and take という価値観以外にも大切にしていたことがあったのだろうと感じました。
※間宮林蔵
百姓の生まれながら、役人となった
鎖国時代にもかかわらず、樺太が東韃靼とは繋がらず、島であることを確認した
東韃靼はロシアの支配下ではなく、清の支配下にあったことも確認
後に、伊能忠敬からも測量の技術を学び、蝦夷の測量に尽力した
役人として隠密に行動をし、諸外国からの船の動向等、情報を集めた
シーボルトとは面識が無かったようだが、密告者と思われていたらしい
そんなシーボルトが、世界地図上に間宮海峡と紹介した
渡辺崋山や高野長英らとも面識があり、影響しあっていたようだ
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